2003年・旧東海道徒歩旅


2003年11月28日(金)
曇りのち雨。


旧東海道徒歩旅。
その17日目。



5:15起床。気温は割に高い。
此処は横田川(現在の野洲川)の渡し跡。
そこにある屋根付きの休憩所にて朝を迎えた。


食パンにスライスチーズを挟んだもので朝食。食後、洗顔・歯磨き・用便。
朝焼けを見つつ出発。朝焼けは天候が崩れる前兆かもしれぬ。要注意。


野宿地を出発すると間も無くR1に合流。野洲川に架かる横田橋を渡り、
すぐ左へ逸れる。そこから6km程は早くもR1を離れて遠望するかたち。
通学の小学生達で賑やかだ。そんな中、大紗川・由良谷川と通過するの
だが、何とこの2本の川は天井川で、旧東海道の上を通っている。道路は
トンネルで川をくぐるのだ。うわあ、こんなの初めて見たよ。



このトンネルの上に 何と川が流れているのです。


大紗川の方は上に登れる様になっているが、季節的なものなのか
水は全く無い。



トンネルの上はこんな感じね。


やがてかつての「旧石部宿」へと至る。ここも特に古めかしい風情は無いが、
宿場町特有の鍵型屈曲が見られる。また、無料休憩所が2箇所存在する。
ガラーンとしているが、僕の様な旅人にはむしろ有難い。町の方としても
無理矢理観光地化する気は無い様に思える。別にそれで良いと思う。



かつての「旧石部宿」 ご覧の通り旧東海道らしい穏やかな町並み。


「旧石部宿」に別れを告げると、いきなり無粋なコンクリート工場が現れる。
東海道は此処から金山跡を南へぐるり迂回するらしいのだが、いつもの様に
ミスコースしてしまい、JR草津線に沿う道を進んでしまう。


右手には「近江富士」と呼ばれる三上山、かたや左手はと云えば何故か
禿山が。かつての金山跡は今や哀しい禿山か。名神高速でこの辺りを
通ると、何時も気になっていたのだが、そうか、こんな味気無い
コンクリ工場になっていたのか。



三上山


その名神高速の高架をくぐると再び本来のルートに合流する。


交通量はほぼ皆無となり、落ち着いて歩ける。昔々、腹痛に効くという漢方薬
「和中散」を売っていたという旧和中散本舗の立派な造りの建物などある。
この「和中散」、腹の中を和らげる薬という意味だそうで、名付け親は何と
徳川家康であるらしい。へぇ・・・


更に進むと、手原という所で、旧国道(だと思う)沿いにファミリーマート
現れたのでそちらに折れ、昼食の買物とする。カップめんとエビカツ巻き、
更におにぎり。おやつにピーナッツチョコと尚もしつこくコイケヤスコーン!
嗚呼、しかし今回の旅はやたらとコンビニの世話になってしまった。
江戸時代の旅人は宿場ごとの名物を愉しんだ事であろうが、今やそれらの
名物は、僕の様な小汚い貧乏旅人にはやや手が届きにくくなってしまった。
結局、全国何処へ行っても変わり映えの無いコンビニメニューに終始した。
これもある意味時代の流れか。


そして旧東海道そのものも今やその役目を終えて久しく、地元の人々の
生活道となっている。


僕は昔の旅人の気分に少しでも近付こうと歩いて来た訳であるが、
今回の旅はむしろ、より現代というものを実感させられる旅で
あったのだ。まあそれはそれで仕方の無い事だし、だからこそ
僕の様な人間でも、様々な現代の利便を伝手にして、こうして
旅が続けられたのであろう。これで良し、としておこう・・・今は。


旧東海道は相変わらず細く、鄙びたルート。やがて栗東付近でR1を横断
すれば、そこからはかつての「旧草津宿」だ。東海道は「旧四日市宿」
同様商店街のアーケードの中を行く。旧中仙道との分岐にあたるこの
アーケード街には、旧草津宿本陣跡街道交流館が有る。
此処も共通券が販売されており、320円也(2009年現在も値段は
変わっていないみたいです)。


儲けよりも宿場町の歴史を知って貰いたいとの事なのであろうが、
旧街道沿いのこの手の施設は何処も入館料がお手ごろだ。しかし
惜しむらくは本陣資料館。立入り禁止の場所が多いのだ。
「旧舞坂宿」の脇本陣資料館はもっと良く見られて、しかも
無料だったぞ!


でも街道交流館は興味深い展示が多く、なかなか由。当時の旅籠の食事を
再現したサンプルもあるが、結構美味そうなんだなこれが。ありゃりゃ
また腹が減るよ。


その他、「昔の旅人の衣装を着てみよう」的コーナーや、ビデオや
コンピューターを使用した展示等々結構充実している。書籍関係もかなり
豊富なので、旧東海道に興味がある近場の方は休日に此処に来て、それらの
書籍にゆっくり目を通すのも悪くないかも。しかし、まあ平日である事を
差し引いてもお客さん少なし。こんなものなのかなあ・・・


商店街を抜けると「旧草津宿」ともお別れ。狭い道をひたすら進む事となる。


そしてガイドブックにある様に緩やかな上り下りを繰り返しつつ
大津市へと入って行く。朝焼けを見た不安は的中。雨がしとしとと
降り出した。雨、また、雨、か。晩秋の近江路を黙々と・・・



琵琶湖の南のドン詰まり、瀬田川に架かる「瀬田の唐橋」の手前にある
ローソンにて買出しを行い、そのまま橋を渡る。


瀬田の唐橋ユミ・・・って、スンマセンちょいーと酔いつつ書いてます。
まだ時間早いってのに。


さて、此処でミスコースしてしまい、本来のルートでは無い湖岸道路へと
進んでしまう。ルート復帰を考えるが、気が変わる。JRの高架をくぐり少し
進むと現れる湖畔の「なぎさ公園」へと至った為だ。日没後の対岸の夜景が
綺麗だ。おや、自転車旅とおぼしきテントが一張り。テントを張るのに都合が
良さそうな公園である。しかし、テントを持たぬ僕はこの降りしきる雨が
しのげる場所を探さねばならない。暫し歩く。


近江大橋を近くに見る場所に野外ステージを発見する。大きな屋根が有り、
例え降雨が激しくなろうとも大丈夫そうだ。結局此処を今旅最後の野宿地に
決定する。明日まで無事でいられるのならば、こんな都合の良い場所も
他に無い。トイレも近いし。


夕食はミニ三色丼と塩焼鶏、そして僕にとっての中毒誘発悪徳スナック
コイケヤスコーン(もう、こればっか食べてました、ひどい)。それと
発泡酒に焼酎ワンカップ


京都入り前夜祭ってとこかな。孤独だけれども、ささやかに祝おうか。


京都三条大橋。つまりこの旧東海道の終着点まであと10数km。はるばる
東京日本橋からこの大津まで、自力のみを頼りに此処まで歩いて来た。
辛い箱根越え、惨めな清水の夜。雨の大井川等々諸々の出来事、諸々の
日々が、とんでもなく遥か遠い昔の様に思えてしまう。この慌しい21世紀、
平成の世に、現代(いま)そのものを突き付けられつつも、しかしまるで
時代に逆らうかの様な徒歩旅に出た僕は、何人もの旅人やその土地の人々、
様々な風景達とすれ違いながら、いよいよ明日、旅の終結を迎えようと
している。

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[21世紀東海道旅人]カテゴリも、遂にあと1回でおしまい。今回は随分時間が
掛っちゃったな。でも、終わらせたくない気もしないでもありませんね。
こうやってかつての日記からの転載・加筆をする事で、僕はまたふたたび
あの旅の日々へと舞い戻れた気がしていたのだからね。


気が、しただけだ。まだ旅は終わってないよ。これからが正念場。
気が、しただけだ。三条大橋の向こうからが、現在に至る本当の
僕の旅だったのだから。


うわあ、まだ18時過ぎなのに酔ってますなあ。明日も休みだと思うと
すっかり気が抜けた。そんな気が、ただ、しただけだ・・・


明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。