1993年・オロロンライン



遥かな地平線。
左には日本海


風を切って走るは
排気量223ccの華奢な
オフロードバイク


そいつに跨るは
生まれて初めてのロングツーリングにはしゃいでいたであろう僕。


此処は北海道。「日本海オロロンライン」何処までも何処までも続くの
ではないかと錯覚してしまいそうな、北を目指すライダーならば誰もが
一度は走ってみたいと願うかもしれぬ原野を貫く素晴らしいルートだ。


当時の僕のバイク、YAMAHAのセローはパワーが無かったし、スピードも
アクセル全開でせいぜい140km/h ってな所だった。オロロンラインを
吹き抜ける風に煽られつつ、しかし一所懸命走ってくれた。極めて
シンプルな単気筒OHCエンジン。20馬力だった。エンジンのタペット調整
くらいなら、マニュアル見ながら僕でも出来そうな感じだったっけ。結局
しなかったけど。でも、オイルや、プラグ交換と云った基本的なメンテナンスは
極めてやり易かったっけ。出来る限り自分でやっていたんだ。


電装も弱く、ライトは何とたったの30Wしかなく、本当に真っ暗な
山道など走ると、かなーり不安になったものだった。おまけに
ライトのバルブ、しょっちゅう切れてたんだっけ。おっと、余談が過ぎたね。


大排気量車で走るともっと素敵な気分になれたかもしれないが、僕のその
非力なバイクで走っても十二分に感動を得る事が出来たっけ。
この写真を眺めているだけでも、あの風、潮の香り、最北端へと向かう
高揚感は即座に想い出せる。生まれて初めての長旅、そして北海道、
更に最北端を目指すこの道を走っていると云うこの高揚感・・・・・


この旅は日本をひと巡りしたいと思っていたんだ。予算や時間の都合から
四国と沖縄には行けなかったけど、自分では日本一周した気分になって
いたんだよね。九州では2009年、つまり今年と同じ様な集中豪雨に散々
苦しめられたけど、そして全体的に冷夏ではあったけれども、それから
たったの2週間で、僕は日本最北端を目指すオロロンラインに至っていた。
あはは、何とまあせわしない旅だった事。でも、最高に愉しかったな。


だって、全てがまったくの初めての経験だったから。
初めての経験っつう奴ァ、あれでもこれでも愉しいですわな。
まあ、例外も多々・・・・・


予算は、バイトで貯めた13万円。でもね、確かおつりが充分に来た筈さ。
節約貧乏旅だったんだよね。モヤシとイワシの缶詰の炒め物ばかり
食べていた様な気がしないでもないぞ。あと、半額になった食パンとか。
ロクなもん食ってなかったなあ・・・あ、また余談だね。ははは。


オロロンラインは、その4年後から3年連続で訪れる事が出来た。当時僕は
プータローだった。好き勝手やっていた。もうそんな境遇(?)にゃあ
金輪際戻りたくないが、しかしオロロンラインは是非また走りたい。


更に余談。この道、80年代末頃までは何と未舗装だったんだって。
想像出来る? その頃に走りたかったなあと、オフロード車乗りの
僕は地団駄踏んで悔しがりましたのでした。フルスロットルで駆け
抜ける未舗装のオロロンライン!! 気分はパリダカだ(違うか)。

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おお、おおお!! 旅の想い出話だったらいくらでも書けるなあやっぱり。
よおし、今回から新たなカテゴリを作っちまいましょうか。
「旅人として」と。時間を見つけて当日記の過去の旅話も拾い上げ、
カテゴリに入れてみようかな?


この1週間は一応平和に仕事に専念しておりました。でも、何かが物足りない。
ケアマネ試験の勉強も進んでいるのだかいないのだか・・・
ああ、明日はお休みだけど例によって事務処理が進んでいない為、出ようと
思っておりますぜ・・・と、まあ、こんな味も素っ気も無い暮らしでして。


旅に出たい。でも、脚となるオートバイの復活すらなかなかにままならぬ
現状がある。情けない話ではあるが。


オロロンラインを吹き抜ける風は、もう秋なのだろうか。
明日の日中も、この道を風に抗しながらも最北端を目指して
突き進むライダーがいるのであろうか。


そんな事考えていたら、何とも不思議な気分になりました。


明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。