缶チューハイと川崎界隈の想い出

阪堺電軌線

テポドンが飛んだと云う
ニュースを、ボンヤリと
したアタマで聞きつつ
昼まで過ごす。


極めて物騒な状況
ながら、しかし
日本はそれでも
恐らく表面上は
平和なのだなあと。


懸念事項は、政治でもテポドンでも、地球温暖化でも無く、只、僕は
夕方から仕事に出掛けなければならないのだ、と云う一点に尽きた。


何だかおかしいよね。


今日も何処かで、戦争でも無いのに人が死んでいる。

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直行直帰で日曜日の夕方から数時間に及ぶサービスに入り出して
今回で2回目。どうにか良い感じでやって行けそうだ。このまま
ずっと続けて行くのは勘弁願いたいとは思うのだけれども。


サービス終了後、先週同様駅までの少し長い道のりを缶チューハイ片手に
のんびりと歩く。先週の花冷えに比すれば少しだけ過ごし易くなったかも
しれない。


缶チューハイ片手に歩くなんて、幾ら直行直帰の仕事帰りとは云え
不謹慎かなあ? でも、日頃頑張ってんだからして、いいよなこれ位・・・

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のんびりと夜道を歩きながら、ふと、随分前の記憶が蘇って来たりした。
かれこれ10数年前の話になるのだろうか。


僕は当時23歳だった。とある事情から、神奈川県は川崎市に数ヵ月間
滞在していたのだった。いや、仕事の関係なんだけれどもね。


川崎駅界隈はよくぶらついた。結構な規模の地下街や、ソープ街があった。
らんぷ亭」と云う、牛丼を安く喰わせるチェーン店があり、よく通ったけど、
今でもあるのかしら?


CDショップで、当時知って間も無かったジャニス・ジョプリンやら
ドアーズやらジミヘンやらの60年代ロックのCDを買い漁った。楽器屋さんで、
安物のエレキギターなんかも買ってみたりしたっけか。フェルナンデスのやつ。
今でも部屋の片隅に置いてますよ、それ。もう全然弾いてないけど。


競馬場が近くにあったけれども、当時からギャンブルには興味が無かったので
一度も行かなかった。でも、多摩川沿いには競馬の練習場(だったかなあ?)が
あって、美しいサラブレッドをよく見に行ったっけか。


ああ、缶チューハイの話だったね。


東京は田町の駅にて京浜東北線に乗り、川崎に戻っていたんだ。
川崎駅から、当時の僕の滞在先まではバスならば10分程。でも、
僕は歩いて帰宅していた。時は5月、風薫る日々。何だか気分が
すごく良くってね、結構毎日愉しかったんだ。


駅で缶チューハイを買って、そいつをチビチビやりながら多摩川
土手を歩きながら帰ってたんだ。六郷とか、小向とか云う地名は、
今聞くと懐かしい響きがあるんだよね。


とある路地にはさ、今の僕が働いている西成の路地の様にさ、
モツ煮を喰わせる店なんかあったりもしたっけか。安くて旨かったな。
モツ煮を買い、缶チューハイも買い込み、休日に呑んだくれてた事も
あったなあ・・・23歳の若者らしからぬ過ごし方よのう。


多摩川の土手で、缶チューハイ片手にサラブレッド見物さ。


「俺、この仕事きっと向いてねえんだろうなぁ」とか思いつつ。


23歳の僕、解ってんじゃんか。そうだよ、お堅い仕事だったもんね。
僕みたいなふしだらな男にゃあ所詮向いてなかったんだ。
そのまま行ってりゃ、日本中旅して廻るなんておかしな事は
出来なかっただろうし、介護福祉士なんてアホ資格なんざも
取得する事は無かっただろう。


「俺、この仕事きっと向いてねえんだろうなぁ」って、今でも思ってます。
でも、もう逃げません。逃げられません。覚悟決めてますから。


缶チューハイ片手に、今昔想う。


寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。