最後の修行(?)、始まる。

きょうの釜ヶ埼・18時半

今週も始まりました。


経営者絡みの様々な
問題を抱えつつも、
少しずつ収束に
向かっている様なので
胃を痛めながらも
頑張りたいのでありんす。


まあ、胃を痛めるだけ
バカバカしいか。


なるようにしかならんのだと、主任と笑いながら愚痴りながら。
経営者には恵まれないが、僕は上司には恵まれていると思う。
都合数年に渡って、僕を支えて下さっている方なのだからして、
その恩には報いたい。


「あと3ヶ月半やんか、最後の修行やと思って・・・」


そうですね。石に齧り付くつもりで頑張る・・・って、えらく大袈裟だぞ。

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帰宅後、母が、かつて脚の手術で入院していた頃の話を、ふとした
きっかけでする。その頃びっこを曳いていた母は、今では嘘みたいに
ツカツカと歩いている。仕事も頑張っている。


あの頃は僕もそんなに忙しくなかった。今から思えばノンビリしてたなぁ。
日記にも書いていたので、久々に見てみた。2006年10月7日の日記から


見舞い


もう、あんなノンビリした時期には戻れないし、戻るべきでもないだろう。
僅か2年半程前の事に過ぎないのだけれども、状況は随分と変わってしまった。


この当時の日記の後半には、夕闇の「あいりん地区」(この日記では、
その後「釜ヶ埼」表記に変えたのであるが、当時は「あいりん地区」と
書いていたのだった)に立ち寄った旨が書かれているが、今日は久々にその
「あいりん地区」を訪れている。この街に住む利用者さんの、臨時で発生
したサービスに入った為だ。


サービスを終え、屋台が立ち並ぶ区域できょうの一枚を。
おっさん達が、今夜も日銭で呑んでいる。この光景は、
2年半前と何ら変わらない。これから先も恐らくは。


誰かさんと誰かさんが、何やら怒鳴り合っている。
芸術的とさえ形容したくなる、音の外れた歌声が聴こえる。
屋台ですら呑めないおっさん達は、結局モツ煮片手に地べたで
呑んでいる。


もしも仮に、僕が成長しているとしたら、僕はこの街に
育てて貰ったのかもしれない、と、何となく思ってみたりした。
此処で、修行させて貰ったのだ。しかし今、今度こそ最後に
したいと思いつつ、春を迎える。「最後の修行」と相成らん事を・・・


いやいや、「修行」自体はこれから先もずうっと続くのだけれども。
取り敢えず、この西成時代での「最後の修行」と云う事で。


「あと3ヶ月半やんか」かぁ。その3ヶ月半が過ぎたら僕は・・・・?

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寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。 ではまたね。