さりげなさ

聖天さんにて

日差しが暖かい。


今日からはまた
西成での日々。


昼前、用事で
区役所に寄った
帰りに、少しだけ
寄り道して聖天さんへ。



聖天山正圓寺。西成区阿倍野区の境にある。お寺だけど入口には
鳥居がある神仏混合様式で、とても旧い歴史を持っているそうだ。


思いついて寄った。そういえば昨年も一昨年も、この時期、この場所を
訪れていたんだっけかな。周辺は実に閑静な住宅街で、とても気分が
落ち着く場所だ。しかし実は近くの公園にはホームレスのテントが幾つも
並んでるんだけどね・・・


手水舎に光は射し込み、穏やかな正午を迎えた。


神社仏閣に特別に興味が有る訳では無いんだけど、落ち着く場所
だから好きだ。有名な所はそれはそれでいいのだが、旅先でふらりと
寄った地方の町の小さな神社なんかで休憩したりするのが特に好きだ。
近年はすっかりそういう機会から遠ざかってしまったのだけれども。


地元の実生活者が、常日頃の習慣として訪れ、さりげなく鳥居の前で
頭を垂れる、なんてシーンをあちらこちらの町で見た記憶がある。
神仏に、ごく自然と向かい合う。崇め奉る、と云うより、さりげなく
向かい合う。「今日も一日頑張ります」とか、「では行って来ます」とか、
きっと向かい合うその人々はさりげなくそう想い、さりげなく頭を垂れる。


絶対視の対象でも、命を賭けるものでも無い。生活の中のさりげなさとして。

___________________


正月に気が抜けてしまったら何となく体調を崩したように思ったが、
仕事が始まったら引き締まったのか、思いの他動けた。このまま行けるかな?
この調子で今年も頑張りましょうぞ。


明日もいい日にしてみせますよ。ではまた。