2003年・旧東海道徒歩旅



2003年11月15日(土)
曇りのち雨。


旧東海道徒歩旅。
その4日目。


旅はいよいよ最大の
難所、箱根越えに
掛かる。

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昨夜購入しておいた5ヶ入りミニチョコクリームパンで朝食。
その後海岸から小田原城に移動。駐車場のトイレにて用を足す。
掃除のおっちゃんと暫し話す。話好きなのか止まらない。
何故か「老人病院」(今で云う療養型病院(病床群とも)の
悪口を話出した。どんな内容だったか忘れたが、延々話している。


僕はこれからその「老人」相手の仕事にでも就いてみようかと
漠然とながら思っているのに、気ィ悪ィぜ。ホームヘルパー講座って
年明けからだったよなぁ。試験も何にも無いって云うからまあ
テキトーに受けてはみるけどさ。でもこんだけ年寄りの悪口
聞かされちゃあ、どうにもウンザリしてしまう。止めとこうかいな?


・・・それから4年半も経っちまった。どうしようもない業界だと
思いつつ、まだ居ます。でも、マスコミが報道している側面だけが
介護職の現状では無い。とは思う。色んな意味で。書かないけど。

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小田原の市街地を離れ、旧街道を行く。箱根登山鉄道箱根湯本駅の手前
三枚橋で早川という川を渡ると、そこからが箱根越え東側の始まりとなる。
気合を入れ直す。


入れ直したのは良いのであるが、右膝が痛くなって来た。前日から右足首に
痛みを感じてはいたが、遂に膝に来たか。最近(えっと、2008年の話ね。
ややっこしいな)同じく右膝に違和を感じた事があったのだけれども、
僕の右膝はこの頃からもう痛んでいたのかしら。無理させちまったかな。
心に暗雲。


土曜日。国道には観光マイカーが列をつくる。旧道の登りに掛かる道にも
クルマがビュンビュン。痛む右膝を庇いつつ坂を行く。


歩道は時に石畳が現れた。往時の風情を体感出来るのは良いのだけれども
膝に痛みを抱えた脚で行くのは非常に辛い。TOPの写真はその石畳。
標識には「これより江戸時代の石畳」とある。復元されたものでは無く、
往時のものがそのまま(なのか?)残されている貴重な区間だったりする。
しかし膝が痛いものだからガタガタな路面は本当にキツかった。
おのずと休憩増え、タバコの消費も(今はやめたが)増える一方だ。


正午頃、雨が降り出した。レインポンチョをザックから取り出す。
急坂は尚も続く。「女転し坂」「七曲り坂」遂には「猿滑坂」
などと云う尋常では無い坂道が延々と。もう疲労困憊・・・


漸く坂を登り詰めた所にあった「甘酒茶屋」にて休憩。そういえば
昼飯食って無かった。名物の甘酒とこんにゃくの味噌おでん。
美味かったけど、すぐに腹が減って困る。茶屋はお客で一杯。
しかしどなた様もお車にてのご来店か。お疲れとは程遠いお顔だぜ。


茶屋からも更に石畳の急坂が続く。「追込坂」「お玉坂」「白水坂」と
延々と。「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」とあるが、
この坂って、馬でも相当キツかったのではないかしらん? どないだ?


箱根馬子唄の碑がある辺りから、道は漸く芦ノ湖を見下ろす下りに掛かる。
晴れていれば富士山が見えるらしいのであるが、雨天ではどうにもならぬ。
14時頃、芦ノ湖へ。急坂を登り切った感慨に耽るも、そこは只の観光地。
少々ウンザリする。腹が減って仕方が無いので、湖畔のセブンイレブンにて
チキンバーガーなんざ購入して食う。それでもまたすぐに腹が減った。
恐るべし徒歩旅。


箱根関所に向かう。見学したかったが改装中(だったと思う)。
面倒臭くなり(こんなんばっかです)通過。霧の中、箱根峠を越える。
やったぜ。でもまだ下りがあるんだよな。神奈川県から静岡県へ。
三島まで下るのだ。三島まではまだ15kmはある。暗い旧道の石畳を
下って行く。石畳は濡れており、時に足下を掬われ転倒の危機に。
一切気が抜けない。右膝の痛みも襲う。辛い。


観光客で溢れる箱根側とは裏腹に、人っ子ひとり居ない。暗い旧道だ。
でも、昔の旅人の気分はこちらの方が充分味わえる。辛い。痛む。
昔の東海道旅人達は、きっともっと辛かったのであろう。旅は辛いもの。
旅は面倒なもの。時に命さえ賭けねばならなかったもの。しかし旅は、
私が何者であるのかを教えてくれるもの。旅は、私の来し方行く末を
推し量るひとつの物差し。そんな気もする。いいのだ、辛くて。


雨は断続的に降り続く。日は暮れ、すっかり暗くなってしまった中を
ジワジワと下る。とどめの様な「愛宕坂」「今井坂」の急坂を気合で
下り終えると、遂に下り坂は終わり、三島市の市街地に入って来る。
やった! 僕は旧東海道最大の難所、箱根を自力のみで越えたんだ!!
やり遂げたのだ。


20時半頃、伊豆箱根鉄道三島広小路駅近くのビジネス旅館「山月」に
飛び込みで投宿となる。野宿は・・・? いやいやご勘弁をば。
箱根越え成功の夜ですよ、泊まらせておくれなもし。31にもなって
何やってんだ俺は。でも、31にもなってこんなアホが出来るってのも
案外幸せかもしれんな。いや、無理矢理そう思う事にしときます。
でなきゃやってられん。ははは。


雨の中、旅館からかなり離れた所で漸く見つけたファミリーマートにて
買って来たノリ弁と塩焼き鳥、発泡酒、焼酎ミニカップでささやかなる
箱根越え祝いを。クタクタだ。でもこの満足感、充実感はどうだ。
生きてる喜びって、こういう事なんだよな、きっと。


これからの人生まだまだやれそうかも。いや、やる。
どうにだって転がってやりまする。箱根を自力で越えた経験は
結構大きかったかも。


旧東海道徒歩旅は駿河路へ。西へ、西へと更に続く。

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うわ、週末に無駄に書いておりまする。体調もどうにか整い、
明日はお休みだとなると妙に書けてしまいましたのです。


明日は介護事務講座のお勉強を進めましょうかいのう。
いよいよもってレセプト書いてみなきゃ。


地味なこんな日々も、また旅だ。遠くへ行く事だけが旅じゃない。
寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。おやすみなさい。