ほがらか

枇杷の実

雨はひと休みで、
今朝は青空も見えた。
でもまた明日は雨か。


西成の外れの某所で
枇杷の実がなっていた。


枇杷は丁度今時
店頭に並んでいた
ように思うが、はて。


子供の頃は、よく枇杷を食べたような記憶があるのだけれども、
最近は全く食べなくなった。美味しいのは知っているのだが。
ところで写真のこれ、収穫してちゃんと食べるのかしら・・・?

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近代(いま)といふ今は尠(すくな)くも、
あんな具合な元気さでゐられる時代(とき)では
ないのです。


諸君は僕を「ほがらか」でないといふ。
しかし、そんな定規みたいな「ほがらか」
なんぞはおやめなさい。


ほがらかとは、恐らくは、
悲しい時には悲しいだけ
悲しんでられることでせう?


中原中也 『未刊詩編』より 「酒場にて」から一部抜粋。


僕は、明るく元気でも勉強熱心でも無い。
優しくも無いし、夢多きでも無い。むしろ捨てている。
只、悲しい時には悲しいだけ悲しんでいるみたいだから、
恐らくは、ほがらかなのかもしれない。 しれないだけ。
知ったこっちゃねえ。


釜ヶ崎の酒場に集うオッサン達は、誰もが彼もが悲しんでいるのかもしれない。
ならば連中は「ほがらか」なのか? さあな。でも、そうなのだと
ある方にあるカタチで云われた。悲しいし、寂しいし、寄る辺無き、
なのだそうだ。


中也さんが云われる、定規みたいなものとは違う「ほがらか」。
3年もこの町に通って、そこまで意識し出したのはまだまだ最近の事。


駄目だ、もう眠い。今宵も例によって酔ってます。文の滅裂
ご容赦願い奉りまする。僕は何が書きたかったのだか。


疲れたなぁ・・・でも、明日もどうにかこうにか。
明日もいい日にしてみせますよ。ではまた。