長崎の鐘

1997年・林道日本一周

1997年12月5日。晴。
林道日本一周の旅。


ここは・・・
書かなくとも解るよね?
長崎平和公園ですね。


前日は長崎の市街を
一望する稲佐山公園
某所にて野宿したという事もあり、どうせだからと午前中は長崎観光に
費やしてみたりした。グラバー園界隈や大浦天主堂を巡る。
長崎って素敵な街だなあ。あ、チャンポン食い忘れた・・・


そういや大浦天主堂の前で、ド派手に立ちゴケ(バイクに跨った
状態でバランスを崩し、コケる事)をやらかしちまったのだったっけ。
ありゃあ恥ずかしかったよ。周りは修学旅行の学生さん達で
いっぱいで、「あ、すげーバイクだなー」なんて言ってる男の子
なんかもいたりしたんだこれが。嗚呼それなのにそれなのに。
逃げたよ。そそくさとその場からダッシュで。

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ええと、写真の説明だ。長崎平和公園だ。
女子高生達が、「シェー」をカマしてる面白写真だ。
女子高生でも「シェー」を知っているのかと思った僕は
しかしこの当時25歳だった筈だ。なんで僕が知っているのだ。


違うよね。平和記念像のポーズを真似ているのだね。見りゃわかるね。
何故このような像がこの場所に聳え立っているのか、その理由を、
彼女達は、そして25歳の僕は、当時果たしてどこまで考えていたのだろうか。

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どうでもいいような連中が、しかし無駄に強大な力を手にした。
全ての悲劇の始まりは、人類史上あらゆる場面に於いて、
その事が原因になってしまっているようだ。争いたいなら、
人を殺めたいのなら、先ずあんたらが先陣切って行きなよ。
後ろの後ろの最も後ろ。一番安全な場所にいるどうしようもない
連中に殺されたんだ、死ぬべきではなかった大切な人々は。
戦争したい連中は、何時だって一番安全な場所にいやがる。


原爆落として、それがやむなきだと? ふざけんじゃねえよ。
どの口がそんな戯言ぬかすかこのキチガイが!

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おーい・・・気をしっかり持てよー・・・暑さにやられたかあ・・・・
何をイライラしておるのだあ・・・? ちょっとアタマ冷やせーー。

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解りにくいが、写真の女の子達はルーズソックスだ。時代が出てますね。
この女子高生達も、今じゃあもしかしたらお母さんになってたり
するのかしら。嗚呼、10年の月日。僕はあまり変われていませんが。


広島平和記念公園にも、この後この旅の最中訪れている。
唐突だが、当時の日記より。

アラン・ブースというイギリス人の書いた
日本縦断徒歩旅行記をかつて読んだ事を思い出す。
広島の平和記念館を見学して大いにショックを
受けた件が書かれている。その広島を訪れた際の
章のタイトルは確か「一千の太陽、一千のクレーン」
だったと記憶している。原爆のすべてを焼き尽くす
激しい光は「まるで一千個の太陽を集めた」かの如く。
そして復興し、発展した現在の広島の工業地帯には
「一千はあるかと思えてしまう」クレーンが立ち
並んでいる、というような意味だったと思う。


「一千の太陽、一千のクレーン」どうした訳か、
未だそのタイトルがアタマから消えない。

ニッポン縦断日記 (シリーズ・ザ・スポーツノンフィクション)

ニッポン縦断日記 (シリーズ・ザ・スポーツノンフィクション)

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うわまたうたた寝だ・・・・日付かわってるがなあ!
寝なきゃ。うわ、身体壊しそ・・・いや実はもう壊してます。
唐突だが、明日もいい日にしてみせますよ。おやすみなさい。
疲れてるのにまた無駄書きだあ・・・