お目出度い夢想ですが

さらに、浪速区のネコ

撮ろうとした瞬間に
逃げられた。で、
こんな妙な構図。


なにわ筋での信号待ち。
その一瞬。我ながら
ようやるわまったく。




うだるような暑さ。いや蒸し暑さ。大阪の最高気温は30℃を越えたらしい。


浪速区から西成に戻って来て、とある商店街を通ると、七夕の
飾り付けがなされていた。短冊がいっぱい掛かっている。
ああ、もうすぐ7月。七夕も近いのか。ほんっとに忘れてた。


毎日毎日もの凄い勢いで過ぎて行く。今年は特にそんな気がする。
試験勉強のせいだと思う。介護福祉士国家試験は来年の1月末。
まだ時間がある。結構ある。かなりある。しかし僕は3月から勉強
らしきものを始めた。


気が早いかな、とも思ったが。どうだい、今週でもう6月も終わり。
6冊あるテキストも、今日をもって3冊目「社会福祉概論・老人福祉論」が
修了した(いや、修了は大袈裟か。まだまだ何度も復習せねばならんぞ)。
次の日曜日には、第3回添削問題を解いてみようかと思う。

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正直な話、介護福祉士なんて、そんな大した資格じゃないように思う。
いや、確かにしっかり勉強しないと合格は出来ないのだろうが。
下手したら僕はすべるかもしれない。まだまだ自信がまるで無い。
でも、介護福祉士になれたからって、いきなり僕の生活がどうなる
訳でもないだろう。世間の認知度だっておそらく低いだろうし。
何にしたって介護職なんて、所詮はしがない3Kでしかないのだ。


だけど、何だろう。勉強を始めて、周囲の励ましも受けて、
少しずつこれまでよりも自分が、自分の意識が変わって
来ているように思う。


今までこの仕事が続いたのは、物珍しさがあったからのような気がする。
西成は釜ヶ崎(最近は初期の頃より頻繁では無くなったが、それでも
週2回は脚を運んでいる。明日も行く)という、日本でも極めて特殊な地域に
いきなり首を突っ込んだ、という相当刺戟的な日々が、僕の生来の刺戟を
求める気質にぴたりと合ってしまったから、もしかしたら続けられたのか・・・


しかし今僕が思うのは「在り続ける」意義って何なのだろうか、という事。
最底辺の人々と関わって来て、様々な理不尽とも少しは向かい合った。
関わった方々に人として在り続ける事を捨てさせず、希望を、せめて欠片でも
いいから持って貰いたい。無駄骨も多いが、しかしそれでもどうにか。
どうにかこの世に「在る」事の喜びを、少しでもいいから感じて貰いたい。


その為に自分は何をしたら良いのであろうか。与えられたケアプランに
従って行動するより他無い僕ではあるけれど、しかし自ら考えて、訴えて、
硬直したものを解放する手段が、もしかしたらもっともっとあるのではないか。
知りたい。考えたい。学びたい。もしも仮に、どなたかの人生に、僕の
提示した指針が影響を与え、人生のひとつの導きとなれば(いや、与えるもの
じゃない。あくまで指針。その人が僕の意見を参考に、自ら考えて選び
取ってくれるようになってくれるのならば)、そんな事がもしも叶えば、
それは何と素晴らしい事なのだろうか・・・夢想さえしてしまう。


我が貧弱なる酒漬け脳細胞に、学ぶ知識がどれだけ残るかは知れないが、
僕は学びたい。もっと知りたい。幻滅しても、それでも捨てたくは無い。



西成で迎える3度目の夏。今でも、結構面白がっている部分はかなりあるが
(意外と飽きなかった)、もしかしたらこれが最期の夏。気を引き締めて。


寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。
おい、どうしたいきなり真面目に深刻に・・・いや別に。