街角で歌った頃

恥ずかしい青臭さだが・・・

恥ずかしくも懐かしい写真が
押入れから出て来た。


林道日本一周の頃の写真を
あれこれ見ていく中で、
それ以前、それ以後の
旅や日常の写真も同時に
見つける事となったので
あるが、これもその中の一枚。


1998年の夏だろう。
当時僕は、大阪は梅田、お初天神
アーケード街付近で、週末の夜ごとに
ストリートミュージシャンの真似事をしていた。その頃の僕の写真で、
唯一残っているものが、これだったりする。あー、やっとこさ見つけたぞ!


この当時で36〜7歳だった、とあるストリートミュージシャン
意気投合し、その方の、手持ちの使い捨てカメラで撮影して貰った
ものじゃあなかったか。指が被ったのか、非常に暗くなってしまい、
ハッキリと写ってはいないが、その曖昧さのお陰で、今ここにUpしようと
咄嗟に思っちゃったのですよ。またひとつ恥晒しちまったぜまったくよう。


その方は、大のボブ・ディランフリークで、レパートリーも全て
ディランナンバーであったと記憶する。この写真をよーく見ると
譜面台が写っているのであるが、これはその方の持ち物であり、
譜面台に乗っているノートには、「It's All Over Now, Baby Blue 」の
歌詞が手書きで載せられていた。僕はそれを見ながら、その曲を歌わせて
貰った。写真で見ると、どうやら僕はカポタストを5フレットにあわせ、
ハモニカホルダーにはFのキーのハモニカをセットしてプヒーパヒーと
やっているようだ。5カポのFということは、オリジナルよりキーを
ひとつ上げていたのか。マイクなんざ使っていないので声を張り上げる
しかなく、それで歌うものはどれも全体的にキーを上げていたような
バカバカしい記憶がある。


お陰で、僕は高い声が出るようになったが、しかし上手に歌えた訳ではない。
歌の下手さ加減は、如何ともし難かった。でも、愉しかった、ほんとに。
僕に限らず、マイクを使わず肉声のみに頼っていた連中は、大概
大声を張り上げていたが、つい最近見掛けたストリートミュージシャンは、
きちんとマイクとアンプを使い、女の子に喜ばれそうな甘い内容の歌を、
かっこよく力まずに歌っていた。


写真で僕が抱えるギターは、YAMAHAのFG-730という合板ギター。
高校1年の秋、生まれて初めて手にしたギターで、6年前にJ-45を
購入するまでずっと使い続けてきた楽器だ。音は悪かったが、
思い入れは、それなりにあった。このギターで、ボツにしたものを
含めると、200曲は歌を創った筈だった。いや、そんなの所詮
何の役にも立たない無駄でしかなかったが、その無駄さ加減が、
今となっては、なかなかに貴重な事だったような気がする。
無駄かと思われる事に注力するのも、ある時にはもの凄く必要なのだ。
今の僕なら、それが解る。他所様には、おかしく思われようが。
絶対に理解しては頂けぬであろうし、それは当然の事なのであろうが・・・

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御免。懐かしさについ書く。僕は今は歌わなくなったけれど、
早川義夫風に書いちゃうと、僕の人生は歌い続けておるのです。
あれ、違うか。こんな表現じゃないか。まあ、何でもいいか。
もう眠いか。もう駄目か。こんなんでこれから始まる試験勉強を
こなして行けるのか。解らんか。どうにかなるか。寝るか。終わるか。


では、明日もいい日にしてみせますよ。おやすみなさいませ。