違和界

浪速区改良住宅

浪速区
被差別地域。


仕事で先日より
立ち入るようになった。







担当する事になった精神障害者の利用者さんは、壮絶な過去を
持ちながら、現在は、しかし穏やかに暮らしている。
週に一度しか訪れる事は無いのであるが、どうにかして
その人の生活を支える一助となれたら、と。頑張りたい。
僕がこれまで関わって来た釜ヶ崎の住人とは、まったく趣を
異にしているので、対応にはまた別種の慎重さを要する。


写真は、1969年に施行された同和対策事業特別措置法に基づいて
建設された所謂「改良住宅」。この建物は、もう誰も住んでいない。
もうすぐ取り壊されるようで、立入り禁止になっていた。
非常に古い設計であり、当時の最低基準で建てられている筈だ。


先日読了した森達也の「放送禁止歌」の中では、京都の竹田地区の
改良住宅についての記述が見られたが、そこでも住宅の設計基準は
当時の最低レベルのものであったと書かれていた。これらの住宅には
内風呂が無かった。銭湯が頼りだ。


写真の住宅は取り壊されるが、浪速区のこの地域の中には、未だ初期の
ものとおぼしき設計の改良住宅が現役で残っている。だが、近年は
次々に取り壊されている模様だ。


ここも、そう。


写ってはいないが、この市営住宅のすぐ横は、最新建築の住宅が
ずらりと並んでいたりする。町並みは、一気に変わりつつあるらしい。
それは実に整然としており、きたなさの欠片も見受けられない。
地区は、見た目だけは、どんどん変わりつつあるようだ。
見た目だけは。


しかし拭えぬ違和感。以前も書いたが、周辺は閑散としており、およそ
人気が無い。住宅のベランダには、洗濯物が干してある。確かにそこには
生活があるのにも関わらず、だが熱が、人がそこに在れば当然感じて
然るべき熱気が、異常なまでに感じられないのだ。何なんだ、それ?
駄目だ、上手く書けないや。この違和感を上手く表現出来ない。悔しい。


同じ、人、だ。なのに、世界が違うのだ。同じ、人、なのに、だ。
おかしい、絶対おかしい。この違和はどうだ、何なのだ。
駄目だ書けない。いや、正確には、書きたいという衝動に負けて
しまったのだ。書くには、まだあまりに早過ぎたのかもしれない。
まとめる事がおよそ無理なのに、勇み足でここまで採り上げてしまった。
でも、負けた。御免。

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駄目だ、書き始めて、ここまで書いて、失敗したなあと感じている。
でも、その失敗したなあ、という感情もひっくるめて敢えてそのまま
UPする。この、どうにも納得行かない感情も、いずれは腑に落ちようか?
それとも・・・


駄目だやはり失敗だったか。後悔するかな、書いた事?
寝る。明日もいい日にしてみせますよ。


後悔するかな、何にも知らん癖に、書いた事。解らないな。