唐突ですが、回想してみます。

遊郭とマンション

遊郭
飛田新地
後方には
最新建築の
マンションが。
妙な風景だと思う。
15時。賑わうには
まだ早い。


やがて欲望が、渦巻く。自転車で巡れば、釜ヶ埼も、
新世界も、日本橋も実に近い距離だ。ここは大阪で、
もしかしたら日本で最もイカれた、しかし刺戟的な土地か。

____________________


僕はどうしてこの業界に入ってしまったのかなあ・・・


ふらふらと生き永らえてしまい、他にやれそうな事も無く、
ろくでなしを自覚しつつ迎えた三十路。そんな中、姉の友人の
紹介で「まあいいか」と何となく取得したヘルパー2級の資格。
試験は特に無い。何処の誰でも取れるバカ資格。3ヶ月で取れた。


「介護だぁ!?何でこの俺がジジババの世話なんぞせにゃあ
ならんのさ?アホらしい」と何処かで思いつつ、しかし8万円
(くらい掛かったかな?)も自腹を切った事もあり、それなりに
真剣に講義を受けた。様々な事情を抱えた同期生さん達との
雑談が妙に楽しかった記憶がある。

____________________


講師をされていた方の紹介で、資格取得後、何故か車椅子の
修理会社に就職してしまった。小規模の会社ではあったが、
電動車椅子の仕組みや修理技術を教えて貰ったり、
全身性障害者ガイドヘルパーの資格を取らせて貰ったり、
筋ジストロフィーの青年始め、様々な方々の介護をさせて貰ったり、
今にして思えば結構良くして貰えたのであるが当時は、社員の
あまりの扱いの酷さに辟易して、何時しかやる気を失って行って
しまっていたのだ。クソ社員と化した僕は、やがてお払い箱同然で、
その会社を辞める。後で、その会社、2年で10人以上の人がどんどん
辞めて行ったと聞き、複雑な気分になった。


誤解も受け、仕方が無い非難も受けたりして、少し落ち込んだ。

____________________


今の事業所に所属して、仕事を始めたのは2005年の3月1日。
地元で働く事を避け、全く関係のなかった西成の事業所に
「なんとなく」面接を受けに行った。交通費も出るし、
あっさりと受け入れられたし、事業所の雰囲気も妙に
感じが良いし・・・・・


何の前触れも無かった。初仕事から放り込まれた「あいりん地区」
僕には縁もゆかりも無かったこの日本最悪の土地に、いきなり。
カルチャーショックの日々。事業所に感じ良く迎え入れられたのは、
要するにこの地域に突っ込む為の人出が、不足していたから
なのであろう。実は未だに足りていなかったりして・・・


しかし、何だろう?生来の、怪しげな事に首を突っ込みたがる
気質がムラムラと沸いて出たらしく、「こりゃあ面白いぞ!」と。
刺戟的で面白く感じ始めたのだ。飛田新地も芦原界隈の特殊地域も、
仕事とは関係無い所で(いや、一部はあるのだけれど)進んで
脚を運んでみておりまする。そういや、車椅子修理会社に属していた
頃に、よく訪れていたのは、生野区コリアタウン周辺だったか。
あの辺りは警察もビビッて避けているから気をつけろ、と会社の人に
脅かされたが、今の僕から見たら、十二分に平和な所だと思いますがねえ。
ガラは、確かに悪いが、それなりに人情が、あった。うん。

_______________________


何時か、すべては懐かしくなる。
どんなに嫌な経験をしても、時がすべてを押し流す。
時はすべてを押し流し、噛み砕き、些事へと変換してくれる。


駄目だ唐突だが眠い、限界が。
明日もいい日にしてみせますよ。
明日も、また西成で頑張ろう。
おやーすみい!!