晩秋に思ふ

狭いようで広いような世界

淡々と、晩秋の日々が平和に過ぎて行く。


胃が痛くなったり、不安が襲ったり、寂しい癖に
強がってみたり、しかし少しはアテにされている
らしいと思い込んで張り切ってみたり、まだまだ
これからとばかりに希望の灯火に託してみたり。
うむ、納得はしきれないが、いらいらしたりもするが、
しかし僕は何と仕合せにここまで生きて来させて
貰ったのであろうかなと、思う。つくづく思う。


比較対照では無いと、他者との関係に於いて言い聞かせて来た。
しかしそれは劣等を覆い隠すが為の言い訳にしか過ぎなかった。
だからこそ結局潰れたのだ、いっとき僕は。でもそれすらも
今となっては懐かしい。全部過ぎた事。終わった事。


他者に対して、しかもそれが最下層とされる位置の他者に対して、
どのように接するか。必要なのは同情か、共感か、否、適度に
距離を置き、時に突き放す事なのか。もの凄く悩んでいるけれど、
しかし一方で案外充実している。最悪だなとつくづく思う場所を
中心として働いて来たが、僕は運良く、ここで仕事が出来たのだ。
運良く、だったのだ。この人生に於いて、運良く、だったのだと。
いろいろあるのだけれど、そう思いたい。


あとどの位、このスラム街に出入りするのかねえ・・・

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どうしたのだ、今更よう。今まで散々書いて来た事を今更
何だよ・・・  いやいや、深い意味はないのだ。図書館で借りた
「釜ヶ埼風土記」(まだ返してない、22日まで借りられる)を
読んでいたら、どうにもこうにも思う所多々でして。


どんなに平和に、順調に暮らしているつもりでも、何処でどうなるか
解りませんぜ。地盤は、あまりにも脆弱だって、みんな知るべきなんだ。
頑張ってたって、真面目にしてたって、脆弱なんだ。

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1990年西成暴動。これ、テレビで観た記憶ある。ごめんまたも
You Tube」に頼っちゃった。いかんねえ。クセになっちゃった。
そろそろどうにかしたい。



当時は、自分とは遥か遠い世界だったなあ。地下鉄と徒歩で
1時間もあれば辿り付ける場所だったなんて、考えもしなかったなあ。
どいつもこいつも、馬鹿ばっかだ。でも、そのような生き方しか
どうにも出来なかった哀しい人々だったのだ。今ですか?暴動、多分
もう起こらないと思います。みんな、歳とって元気ないもの。
続くのは、搾取ばかり。弱い者は、堕ちるばかり。ちなみに、
当時の暴動を煽ったのは、他所から来た若者たちばっからしいです。
アタマの廻るヤクザや身に憶えのあるアレな人々は、早々に
地区から逃げ去ってたらしいってから、賢いっううか、なんつうか。

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く、暗い・・・・・でも僕自身は元気です。ええ。
明日もいい日にしてみせますよ。BSの水森かおりさんを観てから
おやーーーすみ。だからなんで水森かおりなんだ・・・