儚い当たり前
早川義夫さんの公式サイトを今更ながら
アンテナに入れてみた。開設当初からずっと
追っかけていたのだけれど、今更ながら。
リンクフリーだから、いいよね?
2005年6月の日記のコーナーには、彼の愛猫
「ミータン」(!!)が次女の桃子さん(かな?)に
抱かれている写真が。続いて7月には、その「ミータン」が
点滴を受けている写真が、そして遂に8月には・・・
亡骸の写真が。
おととい死んだ我が家の「ミーコ」の亡骸の写真を撮影し、
日記に載せようと決めたのには、この「ミータン」の
写真を見た事を思い出したからであった。最初、この
「ミータン」の亡骸の写真を見た時は、なんて不謹慎な、と
正直思った。でも、ずっと眺めているうちに、その写真を
載せた気持ちが徐々に解って来た。いや、あくまで推測、だけど。
遺したいのだ。ああ、この子はもうすぐ居なくなる、どんな姿に
なろうとも、まだ居る限り、その姿を逐一遺し、留めて置きたい。
何が不謹慎なものか、そんな風に一時でも思った僕は恥ずかしい。
何が、不謹慎か。
そして、今遂に「ミーコ」が死んで、改めてその想いを強くした。
いーやいや、あくまでも推測、だけんども。でも僕はそう勝手に
思ってみました。だから、「ミーコ」の死の数時間後、はたと
思いついて撮影し、尚且つここに、載せた。この子は、いやこの子の
たましいとやらが宿っていた肉体は、やがて焼かれ、跡形も無く消え
失せてしまう。完全に居なくなる。
無駄なのは承知である。しかし焦ったかのように、撮ったのだ。
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ダイソーで(なんだよ結局ダイソーかいな・・・)、写真立てと
一輪挿しを買った。写真立てには、1999年頃、ミノルタの
オンボロ一眼レフを中古で買った当初に撮影したとおぼしき
写真が出てきたので、そいつを。一輪挿しには、近所で咲いていた
季節外れのタンポポと、名前の解らぬお花を、ごめんなさいと摘んで来て。
♪寝顔や仕草を見ているだけで
やさしい気持ちになれるのがいいね
恩を着せあうなんておかしな事だよね
そばにいるだけでしあわせさ ミータン・・・♪
「猫のミータン」 早川義夫
そうなんだ、恩を着せあう事も無く、ただ居るだけで、
やさしい気持ちになれたのだ。そして、それだって、
いやそれこそが、実は立派な愛情だったのだ。
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帰宅したら、取りあえず、アヤツがニャアと出迎えて
くれたものであった。そしてそれは当たり前の日々であった。
「当たり前」って、本当に貴重で、しかし、儚い。
当たり前であると思っていた事ほど、儚く、唐突に、消える。
さて、ミーコのネタは今夜で終わらせますかね。もうどうにも
ならんこった。はい終わり。
明日もいい日にしてみせますよ。おやすみなさいませ。