ニール・ヤング関連。まだ聴き足らん







Everybody Knows This Is Nowhere

Everybody Knows This Is Nowhere


近年は新しい分野に手を出さなくなり、同じ
アーティストの作品ばかり買ったり聴いたり
している。だから僕がはまぞうを使うと、
同じような人の名前ばかりが出てくる。
どうにかしたい。


・・・嘘つけ、どうする気も無いくせに。


気持ちがちょっと辛い時は、昔から散々これを聴いていた。
強烈に暗くて重いけど、聴くと何故か救われる。


ある利用者さんから、自身の精神的窮状を
訥々と聞かされる。彼は時に怒りを露わにし、
自らの身の上に降り掛かった理不尽を嘆く。
凄まじいものであった。


普段はおとなしく、穏やかな人だったのだ。
それがひょんな事から豹変した。ほんとに
ひょんな出来事から。


正直、ショックだった。汚い事や、体力を使う事なら
今や何でもこいと胸を張るが(ほんとか?)、精神的
苦痛を、赤裸々に告白され、助けを請われるのは・・・
でも、皮肉なのか僕自身の辛い、という感情は
逆に消し飛ばされてしまった。ほんとうに辛い人を
前にすると、所詮自分は甘えてただけだと気付かされて?
あああ、何が幸せと不幸せを分け隔てるのか。
しかし、ただただ人の世は、理不尽の泥濘か。


9分17秒に至る「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」と
10分6秒に至る「カウガール・イン・ザ・サンド」における、
ニールが弾く無茶苦茶な轟音ギターを聴く度に、何故自分が
この時代の、まだ自分が生まれてもいなかった時代の
ロックやフォークに強く惹かれてしまい、クソ頑固にも
80年代以降、リアルタイムで聴けた筈の音楽にそっぽを
向けてしまったのかの理由が少しだけ見えてきたりして。


それは音が、ことばが・・・駄目だ、説明出来かねる。


21世紀に入った現在だって、素晴らしい音楽はきっと
無限に溢れているのであろうに、きっと僕は随分損を
している。いや、間違い無く損をしている。


でも、損したままでいいんです。別にそれで。



損したまま寝ます。
今日受けたショックを断じて忘れないように胸にしかと
刻みつけつつ寝ます。明日に備えてどうにか寝ます。
だけどもだ、明日もいい日にしてみせますよ。
おやすみなさい。
さよなら、何かと不安定だった3月。
春以降はきっと素敵な事があると願いたい。