人生は二度ないが

成り上がるも落ちぶれるもただ冬の1日

夕方、帰宅時の地下鉄。


車内の吊り広告。週刊新潮


「2月にも逮捕のホリエモンがムイチモンに」
なんて感じの内容が目を惹く。


「金があれば何でも出来る」と、この人が本当に
発言したのかどうか僕は知らないし、仮にそれが
本当だとしても、成る程そいつは一理あるなと
納得させられるものなのではあるが・・・


でも、結局はそのお金に振り回されてるだけ
だったのかな?


たった1度の人生、何かに振り回されるのは
出来れば勘弁願いたいものだ。


無理か。でもな。


およそ読書家ではない、しかし読書家なるものに
そこはかとなく憧れていながら、しかし一体何を
読めばいいのか、てんで解らないというお馬鹿さん
丸出しな僕にとって、沢木耕太郎早川義夫は、
語弊があるかもしれないが、ノンフィクション
ライターや音楽家であると同時に「こんな本が
あるんだよ!こんな作家がいるんだよ!」と教えて
くれる名著紹介者でもあったりした。


で、昔買った沢木耕太郎のエッセイ集を先日
再読し終えた僕は、この度書店で目に付いた
柳田邦男の「言葉の力、生きる力」という
本をこの水曜日に気紛れに買った。


沢木・早川両氏のエッセイにそれぞれ登場していた
名前だから、一度は読まなくては、と思っていた。
(あれ、違ったかな?勘違いかな?確かめるの
めんどくさいからまあいいや、兎に角買ったのだ。
あ、柳田国男か!!!あちゃあ・・・orz)


いや、この際なんでもかんでもええわいな。


まだ序盤しか読めていない。しかし早速心に留まる
箇所があった。「心を耕してくれた名文句」なる章に
引用されていたのは、これまた僕が好きな詩人である
中原中也の詩「月夜の浜辺」の一節。

「月夜の晩に、ボタンが一つ
 波打際に、落ちてゐた。
 
 それを拾って、役立てようと 
 僕は思ったわけでもないが
 
 月に向かってそれは抛(ほう)れず
 浪に向かってそれは抛れず
 僕はそれを、袂に入れた。」


誰にも解って貰えないかもしれないけれど、
これは結構嬉しかった。


僕の心に引っ掛かっているモヤモヤしたものを、
こうして見事に取り上げて表現している人が
かつて存在した。そしてその表現を作品として
真面目に評論している人が今この時代にいる・・・


なんか、救われた気持ちになる。いや、ホントに。
たった1度の人生、何かに振り回されるのなら
せめてお金じゃなくて、なんか、こう、あれだ・・・
駄目だ、ツメが甘い。まあどうでもいいけどねえ。
終わる。明日もいい日にしてみせますよ。
おやすみなさい。