笑わせられる人はえらろい

最近街の風景を撮ってないな

最近この日記、暗い内容が多い。
いや、実はいつもの事とは云え、これは遺憾。


明るくてフヒャハヒャ笑ってしまいたく
なるような内容を書きたいのであるが、
明るくてフヒャハヒャ笑ってしまうような事に
まるで出くわさないのだから当然書けない。


今日あった事を書こうと思ったが、また暗くなるのは
勘弁願いたいのでやめる。こうやって書いておいた
だけでも、いつか時が経ち、見直した際にはきっと
何があったか思い出せる。って、このパターン何度目だ??

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ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」もとっくに
読み終わり、また読むものが無くなったので、
仕方なく昔買った文庫本を再読していた。


しかし、それも今日で読み終えてしまった。
それは沢木耕太郎のエッセイ集「チェーン・スモーキング」
はまぞうでは検索出来なかった・・・orz)


最終章にある、この文章にドキリとした。
この文庫本を買った十年程前にはサラリと
読み流していたであろうこの文章が、今は
恐ろしいまでに響きます。


「旅は、やはり、どこか人生と似ているのかもしれない。
 ある時までは人生にすべてが可能だと思っている。
 だが、やがて、できることとできないことがあるのを
 知るようになる。同じように、旅も、ある時までは
 どこにでも行かれると思っている。少なくとも、
 行かれないところがあるなどとは思わない。しかし
 歳を取るにつれて、行かれない土地というものが
 あることを知るようになる。そして、ある時、
 微かな悔恨とともに認めざるを得なくなるのだ。
 自分はあの土地にはついに行くことがないだろうと
 いうことを。」


僕は行かなければならなかった筈の土地に、
しかし未だ行く事無く経過させてしまっている。


できることとできないことを知るのは、ある意味
あらゆる人生の通過儀礼であると言えなくもない
ような気もするが、やはり唐突に突きつけられると、
愕然としてしまう。


何処かで折り合いを。それが出来る人はその後も無難に
それらしく、固着と衰えを受け入れるのであろうし、
安定の奥底に隠れているものを惰性という近似値(?)に
顔色ひとつ変えずに転化して、何らその日常に遜色無い
満足感の模造品を・・・・・・・・・・・・・・

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おおおおおおおおお。


少なくともごく個人的にフヒャハヒャブヒャと笑える
クソ文章が書けましたわな。眠いからこそ書けるこの
意味不明状態文。


駄目だ今日は相当疲れたので限界です。
限界な癖に無駄に書いてる。でももう
ほんとに限界だ駄目だ。


明日もいい日にしてみせますよ。おやす・・・み・・・