21世紀東海道旅人
もしかしたらあまり平凡とはいえない
人生だったかもしれなかったけど、
今はどうにかこうにか平和に過ごしています。
それはとても貴重で、かけがえの無い
ものなのであるなとつくづく実感しています。
幸せです。でもしかし僕は欲深いから、もっと
もっと幸せになりたいなと頑張っています。
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2年前の、東海道徒歩旅の事を思い出しました。
丁度2年前の今日の朝、前夜夜行バスに揺られた僕は、
東京は日本橋に立っていました。
風情もへったくれも無い東海道の基点。
そこから遥か492km先の京都三条大橋を
目指して、歩き始めたのです。
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あまりお金が無いから(失業手当を貰っていた身で
ふらふら旅などしてるとは、いい気なものですね)、
基本的に野宿でした。
公園、海岸、河川敷・・・いろんな所で。そう、
僕が現在、奇しくも脚を運んでいる、あいりん地区の
路上生活者達のように。
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雨の箱根越えは本当に大変でした。脚を痛めてしまい、
何故このような愚かな行為に及んだのかと、自分を
責めました。
清水市では、上手く書けませんが、酷い場所で野宿して
しまい、精神的にかなり参ってしまった事もありました。
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しかし、やはり嫌な事ばかりではありませんでした。
歴史のある東海道は、今も往時を偲ぶ旅人達が行き来します。
あちらこちらで応援の声をかけられ、大層照れつつも
とても嬉しかったものです。
峠を越えれば世界が変わる事を実感出来ます。
街道沿いの鄙びた町では、時間が詩をうたっています。
そして、「自力のみ」ですべてを成し遂げる、という事・・・
車もオートバイも、列車も使わない旅は、
ゆっくりと空を見たり、辿って来た道を何度も
振り返ってみたり、なにより自分が、呼吸をし、
こころの烈しい振幅を、しかし素直に受け止める
力を持った「人間」である事を思い出させてくれます。
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旅の終わりはあっさりとしたものでした。
雨の三条大橋。欄干に手を触れたときに思ったのは、
旅を成功させた喜びでも、旅が終わってしまった
寂しさでも無く、ただ「さあ、お腹が空いたから
どこかで食事して、それから帰ろう」という程度の
些細なものでしかありませんでした。
しかし、やがて瞬間が想い出に昇華される時が
確実にやって来ます。
今、あの旅の日々が、如何に特別な日々であったのかと
噛み締めるように想い返しています。
時代を重ね、老いて行く過程に於いて、その想いは
ますます強く、確実なものになるのでしょう。
それは、僕が生きた「証」なのですから。
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この時代を生きるすべての旅人に、夢よ多かれ・・・
明日もいい日にしてみせますよ。