床屋
その床屋は、閑静な住宅街の一角にあった。
古めかしい、昭和30年代の香りがそこはかと
なく漂う独特の佇まいは、この界隈が開発とは
あまり縁が無い事を示している。
周辺には大きな通りが南北に走り、地下鉄の
駅もある。通り沿いには数軒のコンビニや
ファーストフード店、あと、美術科の
学校などもある。
そこそこ賑わいのある場所ではあるのだが、
通りを逸れると、もう風景は一変する。
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店主は60代位であろうか、僅かに奥さんと
二人だけでその床屋を切り盛りしている。
とは云え、訪れるのは近所の常連のみの様子。
多忙極まれり、などという慌ただしい状況とは、
あまり、いや、「一切」縁が無さそうだ。
経営は成り立っているのであろうか?
暮らし向きは如何なものか?
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店に入り、椅子に腰掛けると、奥さんが
コーヒーを持って来てくれた。
どの客にもそうしているようだ。
しかし僕は客では無い。
それでも「どうぞどうぞ」と。
恐縮しつつ頂く。
美味しい。いい香り。
店主も奥さんも、極めて愛想がいい。
「お兄ちゃん、ホンマに立派な仕事してまんなあ」
照れる。そんな立派なもんじゃないよ。
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もう何十年、こうしてやって来たのであろう。
経営と暮らし向きの心配など、いらぬお世話で
あるようだ。
彼等は、ただ平凡に、昔からの通りに、
変わらぬ日々を、しかし確かな日々を送る。
浮付いたものでは無い「実生活者」としての姿がここにある。
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最新流行を追うべく、日々精進する
「美容院」の若いスタッフも立派だと思う。
でも、この「床屋」夫婦の有り様の確実さはどうだ。
市井に生き、身の丈を知り尽くしているのであろう
無駄の無さ、穏やかさはどうだ。
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最近、こういう何気無い、派手さも無い、
欲をやたら求めない生活に憧れる。
どうせ僕がそこに辿り着くのは
無理なのであろうなと思いつつも。
ずっと情けなく転がってばかりなのであろうなと
思いつつも。・・・やれやれ・・・
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明日もいい日にしてみせますよ。おやすみなさい。