ハーモニカラック
「ボブ・ディラン自伝」を先程読み終えた。
面白くて、読み終わるのが惜しかった。
読むのが遅い僕にしては、随分早く読み終わった。
第1章、第2章はデビューしたての頃のお話。
第3章はオートバイ事故の後、1970年頃の半引退状態の、
ウッドストックで暮らしていた頃のお話。
第4章は先にも書いたけど、アルバム「オー・マーシー」を
創り上げるまでのお話。
いずれも、それまで音楽雑誌などのディラン関連の特集で
知った情報からだけでは、およそ知る事が出来なかった
意外な真実が語られている。
和訳した菅野ヘッケル氏の力量もあるのだろうが、ディランの
文章の素晴らしさには思わず惹き込まれた。
で、第5章は、何故かいきなり1950年代後半へと再度一気に遡る。
どうもディランは、時系列を意図的に無視して、「自伝」と謳って
おきながら、まるで小説のような不可思議な作品を創ろうとしている
ように思える。今後、あと2冊は出版されるみたいだから大いに
楽しみだ。
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同い歳ながら、ずっと先にスターになっていたジョーン・バエズを
テレビで観て憧れてしまった話とか、たまたま聴いたウディ・ガスリーに
衝撃を受け、ウディの膨大な数の自作曲を必死に覚えた話とか、
イタリア系の美女、スーズ・ロトロとの恋のいきさつとか
(セカンドアルバム「フリーホイーリン」のジャケ写、
雪のニューヨーク、グリニッジ・ヴィレッジ西4丁目で
腕を組んで歩く2人の姿が有名ですね)。
エリック・クラプトンや、キース・リチャーズも心酔する
デルタ・ブルースの神様、ロバート・ジョンソンを知り、
間も無く時代の寵児となる直前のところで本書は終わる。
id:j-45。33歳にして読書でこんなにドキドキしたのは
むかし中原中也の詩集を読んで以来の事かも。
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例によって眠い。でももう少し。
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写真はハーモニカホルダー。
ディランは文中で「ハーモニカラック」と表記しているようだ。
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第5章318ページからここを引用します。
「わたしもハーモニカを吹いたがラックを使っていた・・・・
当時は中西部でただひとつのハーモニカラックだったろう。
ラックを見つけるのはたいへんだった。しばらくは
ハンガーを曲げたものを使って間に合わせていた。
ほんとうのハーモニカラックは、ヘネピンアベニューの
楽器店の地下室で、1948年以来未開封の箱に入ったままの
形でみつかった。ハーモニカについては、わたしは
シンプルな演奏を保つようにした」
何と!!!!!!!
ディランもかつての僕と同じように、ハンガーを折り曲げて
そいつにハーモニカをくっつけて吹いていたんだ!!!!!
「ライク・ア・ローリング・ストーン」を初めて聴いて
ショックを受けた17歳の頃から現在に至るまで、
ディランは僕の精神的支柱で居続けている訳なのだが、
こんな文を読むと、いきなり近しい存在に思えてくる。
いや、それでも実際は遥か遠い遠い雲の上の上の存在なのだが、
でも、なんか嬉しい。
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もっと色んな事を書きたいのであるが、
書きたくてたまらないのであるが、どうにも
まとまりそうにないのでやめにする。
寝る。
明日もいい日にしてみせますよ。