疲れる
「id:j-45には好きなひといるのか?」
と、てんかん持ちで知的障害者の
いつもの利用者さんにふいに聞かれた。
こういう話は今まで無かったのでちと意外だった。
気になるひとはいるけど、そのひとは
たぶん僕を気にしていないでしょうね、
と答えた。実際その筈だと思う。最近は
時間が合わなくて、そのひとの顔すらも
なかなか見られないし。
「それでも生活保護受けてる自分よりはずっと
ええやん。こんな男に彼女なんて一生でけへんわ」
咄嗟の思いつきで、エッチなバカ話で
くだけた雰囲気を醸し出そうとした
矢先に、返す言葉が無くなるような事言うなよ・・・
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愛車であったスズキのジェベル250XCをそろそろ
復活させて、日帰り〜1泊位のごく小さな旅に出てみたく
なった。
どこでもいい。どこかへ行きたい。ほんとに。
以前のようにオートバイがあって当たり前だった
日々を再開させたい。そんな日々に再会したい。
気持ちよくこころを掻き乱してくれる、あのエンジン音が
聴きたい。振動を感じたい。
ようやく重過ぎた腰が少しだけ上がりそうな、
そんな気持ちになりつつある。
いや、そりゃ勿論昔のように無茶な旅に出ようとは今更思わない。
だけど、あれですよ・・・
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ここ何日かこの日記で語っていた「ボブ・ディラン自伝」。
第4章までを読み終えた。
アルバム「オー・マーシー」をさっき改めて聴き直した。
今まで気付かなかった事を沢山見つけた。
それらを表す事は、まだ上手く出来そうにないからしないけど、
ディランが何を想いながら曲を書き上げ、そして録音したのか、
その真意らしきものを知る事が出来た今、僕はほんの少しでもいいから、
何かを始めなくてはならないのだと、自分も何かを変えなければ
ならないのではないかとふと想ってみたりした。
偉人とされる人々の「自伝」なんてさらさら興味は無く、
僕の人生に於いて初めて手にした「自伝」は実はこの本が
最初であった。
何とかして人生を切り開きたいと切望していたあの時・・・
1997年2月、生まれて初めて生で聴いたディランの、力強い
歌声を、一時忘れかけていたあの声を、あの衝撃を
今日しっかりと思い出した。
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おおおおお、大袈裟にカッコよく書いたね。
相変わらず文章に脈略無いね。
自分でも何書いてるんだか解んなくなってきたですよ。
いつもの事ですが。
眠い。シラフじゃないけどまだ
あんまり呑んでないぞ。おかしいぞ。
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「マーシー ”MERCY" 」とは。情け、慈悲、哀れみ、苦悩を
救う事、神の恵み、幸運、などという意味らしい。
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新しい時代の、新しい表現者の出現を評してディランはこのように。
「遅かれ早かれ、必ずべつのだれかが現れる。
世界を知り、そのなかに生まれ、そのなかに育ち、
その世界そのもの、あるいはそれ以上の存在である
だれかが現れる。まったくあたらしい頭脳と
社会への影響力を持つだれかが。
彼は、宇宙に張ったロープの上に片足で立って
バランスを保つことができ、その人が現れたとき、
みんなにはそれがわかる・・・」
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僕にはそれが遥か遠い、別次元の概念であるとは・・・いや、
「概念」とかいう捉え方もしようとすれば出来なくはないが、しかし
どこかとっつきにくい難しい主張であるとはおよそ思えない。
実はある意味とてもシンプルなお話なのだ。ちょっと考えれば、
きっと誰にでも解るものだと思う。
この人は、誰かがかつて言ったように「神様」なのではなく、
実に当然のように、しかし誰よりも「人間」らしい存在なのだなと。
ほんとうに人のこころを動かせるのは、やっぱり人でしかない。
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あ〜あ、またどうでもいい事書いてしまつた、うん、しまつた。
しまつただよ、そうだぜしまつただぜ。
なんだかなあ。
やだなあ。
仕方ないか。
何が仕方ないのか解んないのだけど。でもいい。
明日もいい日にしてみせますよ。あ〜あ。