がむしゃら1500キロ

萩之茶屋駅は釜ヶ埼の玄関口か

通勤・帰宅時に文庫本を読んでいる。


最近はいちいち新たに買うのもなんなので
(ケチな奴だな)、以前買った本を再読しようと努めている。


いま読んでいるのはちょうど10年前に買った
谷東次郎の「がむしゃら1500キロ」。
現在でも当時と変わらず、ちくま文庫から出ている筈だ。


1957年(昭和32年)の夏、15歳の少年が50ccバイクに
跨って、東海道を西へと走り抜いた・・・


その鮮烈な旅の記録がこれだ。

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谷東次郎は黎明期の日本モータースポーツ界において
華々しい活躍をみせた伝説的カーレーサーとして知られた。


そんな彼の少年時代の日記と前述の旅の記録をまとめたのが
この本だ。


裕福な家庭に生まれ育ち、幼い頃から自動車に慣れ親しんでいた
東次郎は、14歳の時に父親からドイツ製の50ccバイク「クライドラー」を
プレゼントされる。当時、現代で言う原付免許は14歳から取得出来たそうで、
東次郎はこのお気に入りのバイクであちこち走り回ったらしい。


そして1年後、15歳、中学最後の夏休みに一大決心。
長距離ツーリングを計画し、それを敢行する。


自宅のある千葉県市川から、東海道を大阪まで。なんとも無謀だ。


現代なら、そんなに難しい事ではないだろう。原付バイクの
性能は相当なものだ。実際、スクーターで日本一周している
旅人なんてのも決して珍しくはない。


しかし、時代は昭和32年。今とは状況がおよそ違う。
如何に優れたドイツ製のバイクとはいえ、その耐久性は
現代のスクーターとは比べるべくもない。


そして道路自体も。
当時は天下の東海道といえども、まだまだ舗装が進んでいなかった。
現代では信じられない話ではあるが、道路の至る所に岩が
ゴロゴロしていた箇所もあったようなのだ。


強烈に照りつける真夏の太陽にやられ、未だ整備の進まぬ道路に
辟易し、道端でスイカを売る少女に、恵まれた環境にある自分を
恥じ、しかしだからこそよりよき未来を切り開きたいと決意する・・・


15歳の少年にしては早熟な、いや、むしろ15歳の少年だからこそ
成し得たのかもしれぬ心と力の叫びが此処にある。


単なるおぼっちゃん育ちの甘えんぼとは、どうやら訳が違うようだ。
文章を一読すればすぐ解る。


その覚悟の決め方、度胸の据わり方は、およそ半端なものではない。
やがてひとかどの人物になるであろう事が見て取れる。


少年東次郎はトラブルに見舞われたり、他のライダーとの嬉しい出会いを
経たりしながら、全身から漲る勢いに任せて過酷な旅を成功させる。

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その後の東次郎は、時を経るにつれ、ますます強烈な
生き方を自らの手で切り開いて行く。


高校卒業を目前にして退学し、単身アメリカへ。
自分で職を探し、学校で心理学を学び、現地で手に入れた
ホンダのオートバイで大陸横断・・・


帰国後は得意の自動車運転技術をあちこちに売り込んで、
遂にはプロのレーサーに。華々しい活躍を魅せつけて・・・

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こう書くと、何だか欠点のないスーパーマンのように思える。
しかし実際は全く逆だ。


悩んで、苦しんで、しかしどうにか自分を奮い立たせて、
なんとかかんとか道を切り開いた人なのだ。
情けなく、恥ずかしい部分もいっぱいあった。


それは残された数々の彼が書き残した文章が如実に示している。
東次郎の日記や、その他公的に著された文章は、
この「がむしゃら1500キロ」を含めて全部で3冊ある。

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東次郎は既に故人である。


最近亡くなった、とか、そういうものではない。
彼は1965年、僅か23歳の若さでこの世を去っている。


レーサーとして華々しい活躍をみせていたある日、
練習中、コースにのこのこと入り込んで来た莫迦な学生を
避けようとして、コースアウトし、水銀灯の鉄柱に激突したのだ。


八面六臂の活躍ぶりで将来を嘱望されていた若者は、あっけなく、死んだ。


1965年、8月20日鈴鹿サーキットにおいての事故だった。

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それから30年後、1995年の早春、僕は偶然東次郎の存在を知った。
そしてこの「がむしゃら1500キロ」を手にする事となった。


僕はもうすぐ23歳。東次郎の享年に辿り着こうとしていた。
そしてその年の8月20日、酒を呑みながら、この本に向かって手を合わせた。


僕は道を切り開く事が出来るのであろうか・・・いや、切り開いてみせる!

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そして月日は巡り、東次郎の死から今年でちょうど40年。
僕もまた10年歳をとった。

今、僕はしっかりと生きているのであろうか。
10年前の、東次郎のように力強く生きたいと望んでいた頃の
自分に笑われない生き方をしているのであろうか?


否、であろうね。


でも、東次郎は僕に力を与えてくれた。
まだだ。まだ自分はやれるのだと!


10年ぶりに読み返しているかつての青春のバイブルは、しかし
その求心力を、なんら失ってはいない事を、こんな僕に教えてくれた。


少なくとも今日は胸を張ってこう書き記す。


明日もいい日にしてみせますよ!!負けるもんか、足掻いてやんな!!!


と、何気に息巻いてみる。ああ、蛇足付けちまった・・・おやすみなさい。