それぞれの人生

下町の貴婦人かな?

今日初めて関わる利用者さん。
穏やかで話し好きな方だった。
CTと血液検査の結果を聞くために病院へ。
僕はそれに付き添う。
義理の娘さん(息子さんのお嫁さん)が
後から付き添ってくれた。


医者は「うんうん大丈夫、変化なしです。
この調子で行きましょう、好きなもの食べて、
旅行なんかもいいかも・・・」だって。


なんだか診断が妙に軽くて、ふと違和感が。


後から義理の娘さん、僕に耳打ちする。


「おじいちゃん癌なんよ、すごく元気そうに見えるけど。
次のCTと血液検査は3ヵ月後だけど、その頃には
かなり悪くなって、入院かもね。それで最期かも。
でも本人には知らせてないから、くれぐれも内緒にね・・・」


絶句。


あいりん地区で死を待つ人。
かつての栄光を胸に死を待つ人。
ほんとうの事を知ることなく死を待つ人。


それぞれの様々な人生がある。
僕はその断片を図らずも垣間見る。


遅かれ早かれ人は死ぬ。


如何に生き、そして死ぬべきか。


死んでしまえば、すべてはなくなる。
天国も地獄も、きっと・・・無い。
死んだ人は完全に無となる。
ただの無、だけど、しかしこれこそ完全なるものだ。
間違いなく、唯一無二の「完全」だと思う。


哀しいけど、空しいけど、如何なる有能な人間でも、生前に完全を
得ることは出来ないのかもしれない。



ある種の人々が完全を求めるのは、自己を顕示し、且つ、
堅持させたいが為の哀しい悪足掻きか。でも尚も足掻くか。
足掻くより他無いのか・・・



僕と誰かの人生が、
何時か何処かでふと重なって、
そしてまた何事も無かったかのように、
まったく何事も無かったかのように、
離れて、外れて、そしてそれぞれの日々を、
残った日々を今日も過ごすのだ。


明日もいい日にしてみせますよ。そうだよね。