2008年・釜ヶ崎

今仕事で通っている街と
かつて通っていた街との
大きな違いは、時々驚く
ほど財産を持っている
方に出逢う事だろうか。


勿論現在通っている街にも
生活保護を受けている方は
いるし、低所得の方もいるけれども、時々びっくりする程だ。まあ僕の
貧乏人視点なので大袈裟かもしれないが、それでも話を聞いていると生活感覚の
違いに驚いてしまう。僕なんかが一生頑張っても届かない地点なのかなあと
少々凹む。いいんだけどね別に。


だが、今回相談を受けた方は財産を持っているゆえに親族間からほとんど
たかられて(あくまでご本人の捉えかたなので真相は判らないが)いる
らしい。何か困った事があると経済的に助けて欲しいと親族がやって来る。でも
自分が困った時は知らんぷりだそうな。その方は抑うつ傾向で、早くこの世
から消えてなくなりたいとばかり口にしている。介護保険の認定をこの度
受けたのでこれから支援を開始する事になる。他者との交流と気分転換を
望まれているので、デイサービス利用なんていいのかもしれない。
地域のケアマネさんに依頼する事となった。少しでもいいからこの方に
消えてなくなりたいなんて気持ちを和らげて貰いたい。


かつて僕が居宅ケアマネとして通っていた街にいた身寄りのない生活保護
受給者は誰にも知られない孤独を嘆き、認知症となり、解らなくなっていく
自分を更に嘆き最後は自死を選んだ。僕はその担当ケアマネだったが
退職を控えていたので後任者にほとんど押し付けるようにして去ったのだった。
自死の知らせはその後あるきっかけで受けた。ショックだった。様々な
制約や事業所の思惑やらで思うに任せない雁字搦め状態のまま僕は本当は
出来たかもしれない支援が出来なかった。申し訳ない気持ちと自身への
情けなさで一杯だった。


その方が自死を選んだのは2年前の丁度今頃だった。大きな川に飛び込んだ。
これから毎年行ける限りその川へと出向き、花を手向けようと思い、昨年も
出向いた。今年も出向こうと思う。丁度明日は祝日でお休みなので出向いて
みようと思う。


裕福でも貧困でもしっかりされていても認知症になられても、孤独の中で
苦しんでいる方々がいる。そういう方々と出逢うと、幸せとは一体なんなのかと
考えてしまう。そして最後は自分自身の未来を想像する。光は、あるのだろうか。
何が僕にとっての幸せになるのだろうか。その方を弔うと共に、自身について
考える機会としてみたいのだ。自己満足でしかないのだが。
寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。