線路の向こうに

誰の為に仕事をしているのか。
満たされない自分の心を
満たす為に、自分よりも
不幸だと見える人々に
関わり、問題らしきものを
解決して満たしていなかったか。


私の仕事は困っている人がどうしてそんな情況になってしまい、どうすれば
その情況を少しでも改善出来るのか考え、行動する事ではなかったか。
私の仕事は「別に困ってない」と言って支援を拒否しているけれども実は
表出の有無に関わらず明らかに問題のある方々を何らかの支援に結びつける
事ではなかったか。


制度ありき、サービスありきで話を進めていなかったか。
それは居宅ケアマネ時代に私が嫌い、故に今の職場を目指した最大の理由
ではなかったか。


私は私が社会の他者への劣等感から、せめてこの業界でそこそこな位置に
つきたいとだけ考え、これまで資格を取得したり職を変えたりする事を
していただけで、困っている人々の生活を支える事をおよそ本心から目指せ
てはいなかったのではないか。


私は自分が何者なのか、実はいまだに解らない。本当の自分が解らない。
解らないのが人間なのかもしれないが、解ったふりをするよりマシかも
しれないが。これからも解らないままでいいのかもしれないが。


私は何時も心を閉ざしていた。何かを隠していた。でも本当は誰かに
知って貰いたかった。誰かと繋がっていたかった。だから誰かの目に触れる
この日記を続けているのかもしれない。実際の生活の中で、これからでも
誰かと繋がる事が出来るのだろうか。私は心を持った人として生きていけるの
だろうか。


本当の「支援者」になりたい。私が経験してきた空しさや愚かさや苦しさや
情けなさを、自分が救われる為だけではなく、社会の中で困っていたり
その現状を把握出来ない故にはみだしてしまっている人々の問題に光を
あてる力にしたい。誰の為に、何をしているのかを実感したい。
壁にぶち当たっている。乗り越えられたら私はまだ先に行けるかもしれない。
駄目になったら・・・駄目になった自分をまた見つめる事になるのだろう。
でも希望を持ちたい。そんな風に最近考えている。そんなきっかけがあった。