あの向こうで生きていた

先日の飲み会の日は
研修で、ある街に出て
いた。そこは一昨年
まで僕が勤めていた
街だった。


研修先から飲み会の会場
まで電車でふた駅。数分で行けるが時間があるので歩く事に
したのだった。かつての同和地区を抜け、商店街を抜け、
ドヤ街へと至った。そこには僕がかつて週に3日は顔を出して
いたとある施設があった。通り過ぎようかと思ったが、そこの
職員さんとたまたま出くわした。その方はひと目見て僕と認識し、
笑顔で声をかけて下さった。他の職員さんも退職した方もいたが、
僕がこの街にいた頃からの職員さんが結構残っていた。奇跡みたい
だと思った。


10年前、ドヤ街に足を踏み入れた僕は怖さより好奇心が先立っていて
大変ながらもそんな日々を愉しんでいたように思う。


あの頃、人生を色んな意味でやり直したいと考えていた。そして
駄目人間なりに必死に頑張って来た。職員さん達と話をしていると、
急に涙が出そうになった。勿論泣かなかったが、でもそんな気持ちだった。
気持ちが弱くなっていた。でも今こそもっと強くなれる機会なのかも
しれなかった。原点の街を訪れて、少し散策した。相も変わらずの
猥雑さであったが、僕はこの街の風の中で少しずつ救われて行ったの
だなと今は感じている。歩きながら、恥ずかしいけれども少し泣いた。
でも、やっと涙を出せたのだと少しほっとした。


様々な孤独な人を見送った。その中には20年、30年後の僕になるかも
しれなさそうな案件もあった。今もある。本日も高齢引き篭もりの
方と対話をした。他にも末期癌の母を介護する高齢の息子さんとも
会った。時代の影の中で時が流れ、幸せを逃した方々がひっそりと街に
生きている。そんな方々を支援している僕もまた、今これまでにない
悩みを抱えている。でも他者からみたら「専門職」と呼ばれている。
力の無さを痛感しながら、しかしだからこそ、力のない男だからこそ
出来る何かがあると信じたいのだ。


10年の節目なのだなあと。誰の為に、何をしたらいいいのだろうか。
人を支援する事がこんなに自分に向かい合う事だなんて。前から
感じてはいたが今ほど痛感している事はなかった。辛いです。
誰かに支えて欲しい。でも最後に乗り越えるのは自分の力なのだ。
支えて欲しいから頼るのではなくて、孤独だから助けて欲しいのでは
なくて、乗り越えた先に一緒にいてくれる人が欲しいと思った。
どうしたらいいのだろうか。でも、明日もいい日にしてみせますよ。
ではまたね。