震災の展示パネル

このカテゴリを使う事も
ほとんどなくなって
しまった。僕にとっては
東北はやはり遠い地で
あったのだろうか。


しかし彼の地では
あれからもうすぐ2年も
経つにも関わらず、様々な問題が山積していると伝え聞く。
支援の手が届くにはあまりに時間が掛かり過ぎ、掛かった時間の
分だけ部外者は彼の地に起こった事(報道でしか知らない事)を
忘れて行ってしまう。皆それぞれの暮らしがあり、自身の生活に
直接関わりの無い事にまで長期的に関心を持ち続ける事はなかなかに
難しい。


役所に東日本大震災発生当時の展示パネルが出ていた。用事で
寄っただけだったが、暫く写真の前から動けなくなっていた。
狭いと云われるこの国ではあるが、心理的な距離の遠さは時と
共に広がってしまっている。でも、阪神の震災の時でもそう
感じていた。実際にその現場に脚を踏み入れたにも関わらず、
時間が経てば忘れて行った。あんなに近い神戸の街でさえ。


時は距離を生む・・・いや、時の所為にしているだけだろうか。
誰の所為でもない事だが、誰かの所為にしようとしている
自分が居る。


寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。