そっぽ

きょうの釜ヶ埼

ドンヨリとした重い空の下、
炊き出しに並ぶ男たち。


この年の瀬に、男たちは。


世は、空前の大不況と
連日のニュース。


男たちには家が無い。
ある者もあるが、
それはドヤだ。


近年は若い世代にも、釜ヶ埼の日雇労働者と然程変わらぬ待遇の中
底辺で生きる者が増えたと云う。


釜ヶ埼の男たちはドヤに棲むが、若い世代はネットカフェだとの事。
これも時代だ。安く泊まれてシャワーも有り、食事も摂られるらしい。


仕事を選ばなければ生きて行ける筈だという意見も聞く。
確かにそうなのかもしれない。選ばず介護職になってしまった
こんな僕は、きっと職にはあぶれないだろう。安月給は兎も角
(でも独りで生きて行く位ならどうにでもなるだろう)、仕事の
少々の難しささえ乗り越えられれば。


でも、人生には間とかタイミングとか云ったものがある。運だって。
貴方には当たり前な成り行きでも(または努力で勝ち取ったものだとの
自負を根拠とするものでも)、それは間であり、タイミングであり、
或いは運であったりするものかもしれない。


そういうものからそっぽを向かれた人は居るのだ。そして、上手く添い寝を
していた筈なのに、唐突にそっぽを向かれた人達も。


「お前の努力が足りなかっただけだろ」と、今の所そっぽを向かれて
いないのであろう人々は、吐いて棄てる。次にそっぽを向かれるのは、
そんな貴方かもしれないのに。

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贅沢がしたい訳じゃない。派手さなんか要らない。取り繕うような人生なんて
まっぴらだ。地味でも、目立たなくても、みじめだと思われても構わない。


心が震えている事を感じたい。弱さこそが、真の人間の姿なのだ。
情けなくて、みっともなくて、しかしだからこそ心底愛おしいのだ。
曖昧さの中に、本当の事が潜んでいるのだ。白黒でも、裏表でも無い。
みんな、すべて人間の姿なのだ。生きていると云う事なのだ。

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寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。明日はどうにか
午後から半休取れました。一息つきましょうかねぇ・・・


ちいとばかし酔っ払っちまっただけです、はい。意味不明御免。