昨夜書こうと思ってたこと

日が短くなったよね

昨夜はPC付けっぱなしでうたた寝してしまったようだ。
親父が見に来てその時に電源を落としたらしい。


思い出したのだけれど、僕はこの日記を書こうとして
編集画面を開いたままだったようだ。


こういう事について書こうとしていたと思う。


昨日僕は土曜日に日本橋J&Pで買ってきた10枚入りの
DVD-RWディスク(台湾製。激安570円!しかし一応使える)に、
むかーしむかしビデオに録画したおいた番組を
ダビングしようとしていたのだ。


内容は1993年、NHKで放送された「不滅のミュージック・シーン」
という番組。プレスリービートルズ、ディラン、ストーンズ
順番で4夜に渡り放送された。各々、ライヴ映像などがたっぷり
観られる貴重な映像であったのであるが、その中で僕が録画したのは
3夜目のボブ・ディランの回。


ケチな僕にしては大変珍しいことに、標準モードで録画していた。


1967年に発表されたドキュメンタリー「ドント・ルック・バック」。
1965年のイギリスツアーの様子が記録されている。


この時期のディランといえば、「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」を
発表し、間も無く名盤「追憶のハイウェイ61」を発表しようかという
あたりなのであるが、このドキュメンタリーの中ではバンド編成
ではなく、アコギの弾き語りで通している。


記者会見や、車の中、ホテル、ライヴなどなど、いろんな様子が
観られる。


オープニングは、ディランが建設中(?)のホテル
(サヴォイ・ホテルと言うらしい)の横手に突っ立って、
「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」の歌詞に
出てくる単語が書かれたプラカードをその曲に乗せて
どんどんめくって行くシーンから始まる。


これが半端じゃなくカッコいいのだ!!


ガチャガチャした演奏と、ラップのようなディランのヴォーカル。
初めてこの映像を観た21歳の僕は興奮してビールと焼酎とワインを
チャンポンして呑みこんでしまった(なにそれ?でもホント)。


未だ、この映像を超えるプロモを出してるアーティストを
僕は知らない。


当時24歳のディランは、矢鱈滅多ら生意気で、くだらない質問を
ぶつける新聞記者に痛烈に噛み付いたりして・・・


なんかパンクだ。


「うるせえよ、このクソ野郎!!!」なんてガキっぽい、効果のない反撃ではなく、
理路整然と、確実・強烈に噛み付くこのカッコ良さ。


何故ジョン・レノンも、ミック・ジャガーも、キース・リチャーズも、
そしてブライアン・ジョーンズもディランに惹かれたのか、
これを観れば解りそうな気が。


今は人権保護活動家としての顔も持つらしい天使の美声、ジョーン・バエズ女史や、
酔っぱらいのピアノ弾き、アニマルズを脱退したばかりのアラン・プライス。
そしてサイケ・ロックに移行する前のフォーク・シンガー、ドノヴァンなどなど、
クセの強い面々も次々登場して飽きさせない。

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眠い。もっと細かく色々書きたいのだけど、限界此処にいざ迫る!


「ドント・ルック・バック」は有名な作品なので、おそらくは
DVD化されていると思う。わざわざダビングしなくてもいいのかも
しれない。


しかしダビングしようと思ったのは、この番組の司会者にある。



司会は、財津和夫さんと岡部まりさん。



僕は当時、岡部まりさんのファンだったのだ。


この方は、今も若い頃の雰囲気をどうにかこうにか保っているのだけれど、
1993年当時、美しい長い黒髪と上品で知的な雰囲気に、僕はめろめろに
なっていたのだ。後年髪を切り、茶色に染めてしまった時、僕は
ファンを辞めてしまって・・・なんだか勝手な話だね。


ええと、眠い。もう書けない・・・


ええと、今でも黒髪が似合う女性に恋をしてしまう。


ええと、明日も忙しくなりそうだ。


ええと、じゃあ、明日もいい日にしてみせますよ。


ええと、おやすみ。