世代

街路樹

二十歳になった
甥っ子に会いに
行った。


お義兄さんが体調を
崩し、少しの間
入院する事となり、
姉と甥っ子は二人で
生活している。


会いに行ったのは、家族皆での病院へのお見舞いに行く為の合流も
兼ねているが、やはり僕としては甥っ子が今どんな生活を送って
いるのかが気になった。あの赤ちゃんが気がつくと二十歳になっていた。


僕は彼の誕生の為に19歳で叔父さんにさせられてしまったが、赤ちゃんの
お相手や女の子みたいな容姿の幼稚園児のお相手や、ポケモン好きな
小学生のお相手をさせて貰った事はそれなりに愉しかった。それだけ
経験させて貰えたら、もう自分の子供はいらない(って、あかんがな)


そんな彼が二十歳になった。明るい大学生活を送って・・・いる
ようではあるが、実情は生活費を補う為にアルバイトにも励んでいる。
僕が二十歳の時も散々アルバイトばかりしていたが、そのお金の
ほとんどは遊びに消えた。20年前はまだバブルの残り香があり、
僕より上の世代のお兄さんお姉さん方は、それなりに羽振りが
よさそうに見えたっけか。僕はその時代のおこぼれに少しだけ
あずかっていた・・・のかな?


甥っ子が僕の歳に至る頃、この国はどうなっているのだろうか。
彼がその歳に至るまでの時代を支えるのは、僕等の世代だ。でも
僕の稼ぎはこれ以上増えないかもしれないし、年金だって貰えるか
どうかももう怪しい。彼の世代はこれから僕等以上に過酷な
時代を生きていかなくてはならないのかもしれない。だがしかし。


バブル期に青春時代を送ってしまい、無駄な贅沢が身についてしまって
未だにそんな低い次元から抜け出せないしあわせなのか不幸なのか
よく判らない方々もいるらしいが、しかしどん底を生きる甥っ子達の
世代は、案外慎ましやかである。そんな風に感じている。それが
しあわせなのか不幸なのかの判断は些か難しい所ではあるが、
少なくともお金を掛ける事こそが贅沢なのだとしか思えない人々が
いたのかもしれぬバブル世代の方々よりはしあわせな気がしないでも
ない(あくまでも個人的意見ですが)


父は 「不幸で貧しくてどうしようもない時代があった。今もカタチは
違えどそんな時代なのだろう。でも世界の趨勢はその都度変わるのだから、
今現在の表層だけで判断すべきではない。何かのきっかけで劇的とまでは
いかずとも回復していくと思う。悲観すべきではない」との見解を
述べている。 反論の余地はあるが、此処で僕は敢えて同感する。
 

悲観は人間の精神構造上陥る事が実に安易なのだ。誰しも不安を常に
抱えて生きているのだから。悲観に乗っかってしまう事はメシを食うより
簡単だ。だったらきちんとメシを食って前を向いて生きて行った方が
ずっといい(うわ、強引だな)そう考えたいんだ。


他者を羨んだり、妬ましく思うヒマがあったら、自分の足元を見ろ。
そいつをしっかりと見据えたならば、前を見ろ。人生は気がつけば
瞬く間に終わりに近づいていそうな程急ぎ足で過ぎてゆくが、どんなに
歳をとっても前を見ている人は何時だって強いぜ。


と、甥っ子への密かなメッセージのつもりが、結局は僕自身への
問いかけと慰めとアジテーションもどきに終わってしまつたぜ。
ええいこんちくしょうめ。


寝ます。また新しい一週間だ。明日もいい日にしてみせますよ。
ではまたね。