梅が咲いていた

先月からの微妙な体調不良が
ずっと続いていた。体温は
常に37℃位。平熱が以前
より上がったのだろうか。
でも倦怠感や疲労感が
常にあり、気分も冴えない。


しかしそんな中でも一応仕事に復帰し、毎日どうにか過ごせている。
手術からほぼ半年、退院してからも5ヶ月が経過した。体力は
いまだに完全には戻らず、上記した通りで体調も安定しない中
ではあるが、どうにか生きている。昨日とうって変わり、今日は
よい天気。退院して以来リハビリと称して自宅から地元のショッピング
センターへ歩いて買い物して帰宅するというなんて事のない
外出をたまに土曜日に行なって来たが、本日も出掛けてみた。


退院した当初は少し歩いては休憩して、なんて事を繰り返して
いたが、最近はもう休まなくとも行ける。歩きながら、時々
全身機械に繋がる管を通されICUのベッドで寝ていた自分の
見ていた病室の風景がフラッシュバックする。死んでももう
いいか、疲れたし、なんて思った事も何度もあった。疲れて
いた。生き残る事が必ずしも幸せとは限らないのではないかと
考える夜も何度もあった。今も時々考える事がある。


僕は癌の告知から治療という過程を経てそう思ったが、
しかし直前まで幸せに暮らしており、親や妻や夫や子供に
囲まれて特に悩む事もなく、もしくは悩みながらも生きて
行きたいと思っており、もしくは特に幸せや不幸、人生を
考える事なく生きているというほとんど奇跡に近いような
今を、しかし自覚なく過ごしていた人々は、突然亡くなったり
亡くしてしまったりしたその時まで、きっとそんな事は思って
いなかっただろう。生き残ってしまった人はその後の人生で
初めて「私は生きていて良かったのか? 生き残った事が
幸せだとは言い切れなかったのでは?」などとふと、唐突に
考えるようになったかもしれない。僕とはまるで違う
厳しい状況に立たされたあの時以降。


我々は実は1日の終わりに「生き残った」に過ぎないのでは
ないだろうか。僕は生き残った。それは医師を始め多くの
人々が僕を生き残らせる為に働いたお陰である。その後の
しんどさや精神的な苦しみから、しかし「生き残った」事を
時に辛く思う事もある。だが今の所は終わらせる訳にも
いかないので頑張っている。一方、特にそういった事を意識
する事なく突然生と死を突きつけられた人々は、この何年間の
時の流れの中で何を思うのだろうか。もしも、生き残る事を
幸せだと思えなくなっているのなら、辛いと思う時が
あるならば。


生き残った先に何があるのだろうか。それとも、そんな事は
人間としてよくない考え方で、生きている事が素敵じゃ
ないか、生きている事は素晴らしい、と何処かの誰かの
歌の文句ではないがある種盲目的に信じ込もうとする事の
方が気楽でいいのだろうか。それとも・・・
疲れているのかな、まだまだ。