今日の大阪城公園

本日より抗がん剤2回目の
入院となっている。


がんセンターのデイルームから
見る大阪城公園の風景も
すっかり見慣れたものと
なった。あまり嬉しくないが。


今回の病室は前回とは違う病棟にあり、窓側のベッドでも
ないので残念ながら外は見られないし、暗い。おまけに
となりのじいさんは独り言とゲップと咳がひどく、恐らくは
イビキもアレなんだろうなあと・・・携帯電話も平気で鳴らすし。
こりゃひどいようなら看護師に言うか直接どうにかせいと述べる
しかなさそうかな。まあよくある事だけど。
でもいきなり有無を言わせず値段のお高い個室に入れられる
よりはマシってものか。耳栓して寝るべ。


抗がん剤投与は明日の午前から。また24時間点滴が5日間
ほど続く事となる。副作用の辛さ、しんどさがやって来る
訳だが、これも自分の為なのだ。耐えるしかない。でもこうして
ポツンと病室で何をするともなくいると、時々急に不安に襲われる。
本当にこんな事で生き長らえる事が可能なのか?これから先の人生、
こんな自分に明るい光は射してくれるのか?などなど。もうなんて
事のない平穏無事な人生とは遠く離れた世界に生きなければなら
ないのか、なんて少しの時間でも考えてしまうと結構辛いものが
あるのだね。これから自分を待つものは何なのだろうって。


強くはなれないね、なかなか。でも何もかも乗り越えられる
強さって何だろうか。弱くて、だらしなくて、みっともない
事をそのまま受け入れて、しかしだからと言って卑屈にならず
そんな自分を素直に認められる事だって、きっと強い。乗り越え
られない辛さやみじめさだってある。駄目な時は何やったって
駄目だ。落ち込む事だってある。そこからどうすれば光を
見出す事が出来るのだろうか、生きている限り足掻きながら
のたうちまわりながら、なのだろうか。でも、そんなみじめさの
中に何かがあるかもしれない。生きる事のみじめさや無様さを
知り、認め、足掻き続ける事。大人になれば安定とかそれなりの
豊かさとか平和が得られるのかなと思っていたけれども、人は
死ぬまで考え続けなければならないのだ。考えずにいる人も
いるだろうけれど、僕はそれを不幸と感じている。人として。


色んな事を考えながら、今回も過ぎて行くのかな。どうなる
だろうか。でも、明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。